曖昧と万能と日本人らしさ
以下のことはひとり言みたいなものなので真に受けないで欲しい
日本人は中立を好むと言われている。
最近で言えば、政権に対するもの・円安による物価上昇での家庭の変化などのアンケートでは『どちらかと言えば』という曖昧なこの言葉に多くの票が入っている。
しかし、うやむやにしていると捉えるのではなく『一つの視点で考えておらず、状況を周りから様々な視点で見ている』ということにしたら日本人は中立を好んでいるわけでは無いのかもしれない。
人間は万能が好きだと思う。
何故なら、楽だから。
一つの機械で二つ・三つのことが出来るものと一つの機械で一つのことしか出来ない物だったら人間は前者を選ぶだろう。こだわりのようなものが好きな人はごめんなさい
話は変わるが、私は中立の話を上で行ったと思う。
結論『中立の意見は曖昧にして誤魔化すのでは無く、様々な視点で物事を見て、判断をしている』と話した。
この様々と万能は似ている
日本人は万能なのか?気に入られているのか?果たしてそれは分からない。
もう一度言うがこの一連の話は私のひとり言だ
自分でもおかしなところがあると痛いほど分かる。多目に見て欲しい。
誰かがこれを見ていてくれたら頭の片隅に入れて生活してくれることを願う。
この話は人種問題等には関係ありません